第十話 鈴鹿無斑岩魚 (上)

1970年代 鈴鹿の谷へと向かうのには かなりの難儀が予想された 出来立ての峠超えの地道は

早春の雪解け水に洗われ地表も浮き 所々出来た小規模なクレバス状の割れ目が 車の進路に

立ちはだかる  増して四輪駆動車などまるで夢の話だった頃の事である。

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 整備の進む峠道<1980年頃>
僅かばかりの水に 流れが
有ると 竿を出さずには居られ 
なかった時期 まだ々見る事
も無い 何らかの気配を感じ
花崗岩の白い流れへと向かう
事となるのには さして時間は
要らなかった。


見慣れた作業小屋を横目で
見送ると 一段と狭くなった
峠へのルートを 借り物の
カローラバンは 息を切らせる
ように登る ここ数日往来が
無かったのは 浮かび上がる
フカ 々 の地道が物語る・・。

車一台分の幅しかない道は やがて大きく曲がる所で 人の頭程はある数個の落石に阻まれる事となる
ヤレヤレ」 車外へと出ると思わぬ冷気に ブルッと一度身震いするも 手早く落石除去へ取り掛かる
転がす落石先の路肩に残る残雪は 手に取ると指の間から パラパラ と零れ落ち 春はまだ浅いのだ

テールを振り々 何とか県境の大峠へを乗り越す 車中より見渡すと足元から幾重にも続く山並みの中
古語録谷は 永源寺方面へと向け駆け下り 左右に迫る鈴鹿の峰は 押しつぶしそうな迫力で迫リ来る
  「サ 行かなければ・・。」      広いが一段と荒れた路面の下り坂へと 車は乗り出す・・・・・・・・。

  鈴鹿山系滋賀県側での釣<1974年>

幾つかの落石を避けながら
道を横切る深い割れ目をも
飛び越えてきた・・。
道の粗さに加え 路肩に残る
残雪の量に 弱気の虫が顔を
出す おまけにどんどん下る
車道は 相変わらず酷い。
奈落の底へでも 落ちて行く
かのようだ。

「もうこの辺でいいじゃないか」
「いや まだだ、まだ。」
「何もそんなにきばらんでも?」


先程よりちら々木々の陰に
見え隠れする 古語録谷の
流れに誘われ 入渓点を
探し始めている・・。
 
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昭和45年に 江勢道路といわれた国道421号線が出来るまで 愛知川源流のこの地域へと入るには

三重側宇賀渓の先 鵜峠橋より右手にジャコ(砂山)を望みながら 熊谷の旧道を登り小峠大峠を超え

古語録街道と呼ばれた 谷沿いのルートを下るとやがてマタゴワカレと言われたナスガウラから白谷峠

へと向かう道と分かれ暫らく下る・・・ 谷幅の広くなる場所右岸に落ち合う吹ガ谷に添って小屋が有った

ここが起点となり カニグチから金地谷超えでの人や 八風峠超えにて訪れる人々も この地へ集まり 

行動していたようだ。     現在このルートを知り利用しようとする人も僅かに成りつつあるようです。

酔いどれ渓師の一日 第十一話鈴鹿無斑岩魚(下)につづく
                
                                                   OOZEKI