第十一話 鈴鹿無斑岩魚 (下)


三重県側より望む鈴鹿の山々(1978)


車両の往来もまるで無く  沢山の落石が転がる車道へと  荷物を放り出し身支度に掛かる 
静か過ぎる
 山中に分け入り耳を澄ますと 何かしらの音が聞こえるものだが 木々のざわめきに
鳥の囀りさえ 今日ここでは何も聞こえては来ない 自分一人とんでもない地帯へと迷い込み 
取り残されて行くような不安へと駆られ出す  ヨッシャ!  気持ちを奮い起こそうと 目一杯の
気合を入れ立ち上がり尻の土埃を払うと視線は今から向かおうとする 地道の下り坂を見据える。

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荒れた車道を歩き出し始めると 先程までの孤独感がまるで嘘のように消え去り まだ見ぬ流れの
主役達へと想いは馳せる。                                          
車道上に現れる 幾つ目かの尾根の張り出しから下手を覗き込む  サラ 々 と白い川石を噛む
透き通る流れを望むと どうにも我慢が出来なく成りだし    思わず急な崖へと身を乗り出す・・。


下りかけた崖は思いの他脆く 中程で足元からパラパラ崩れ落ち心もとなく 進退窮まる事になる 
三点確保にて ソロリ々と 横手にある雑木の残る痩せ尾根へと何とか辿り付く 残りの10m程は
滑り台よろしく身を任せ滑り落ち やっと目的の古語録谷支流の流れへ立つ事が出来た。    
足元を洗う流れに勢いが無く 水量が乏しいのは砂地の流れによる自然漏水の多いせいだろう  
苦労の末やっと訪れた至福の時間 背嚢より取り出した3.6mの小継渓流グラスロット・・・何せ   
二間半(4.5m)の竿が本流用との認識が定着していた時代である  長竿による本流狙いなど   
考えた事も無かった。                    
             
      ・・・・・・支流を下り古語録谷へと出会う・・・・・・ 。   

思ったより人の手が加えられた谷で 所々現れる砂防堰堤が行く手を遮るが 古語録街道の踏み後は
遡行ルートの選別を迷わせる事無い   水量はやはり少なく 澄んだ流れは淵底の沈み石ひとつ々が
手に取れるように見える スッ!と走る魚影にやや遅れ気味の合わせを呉れると クネクネ と小型の
岩魚が 手元へと飛び込む これがあの”イモナ”か? この地で生きて来た古老に教えられたあの日
人々はイモナと呼び この魚を愛したらしい。                                        
次々と釣り上げた岩魚は 20センチにも満たない物ばかりで 腰の柳魚篭には まだ一本の釣果も  
残らない 谷の規模も源頭近く成り益々細く弱々しい もう多くは望めないのか?                 


     鈴鹿山系源流(滋賀県側)
背丈程の積雪にカンジキ履きでの釣行(1975)

やがて渓は ナスガウラ方面から落ちて来る谷の
出合より 軽い落ち込みの連続へと変わり下る
ここまで上ると大分魚信は少なくなって来た。

ふた抱えほど有る 黒い岩陰から竿を振ると
死角となり見る事の出来ない流れから 予期せぬ
魚信に慌てる グイッ! と言う重々しい当たりを
思い切り煽った合わせに 魚は頭上を飛び越し
切れたハリスと共に 後方の笹薮に落ちる・・
  ドスン ドスン
藪の中にのたうつ岩魚の元へと 竿を放り投げ
駆け寄り 笹を掻き分ける
  ここに居たのか。
石と石の間に横たわり頭だけを出す 件の岩魚は
まるでこちらを横目で睨んでいるようだ
手を伸ばそうと身を乗り出しやっと異変に気が付く
  なんだこりやー・・?
形は紛れも無い見慣れた岩魚だが なにせ体側に
有る筈の柄がまるで無いのだ? 灰白色の魚体を
見下ろしながら そこから動く事が出来なかった。

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人との出会いの少なかったこの地にも 時代の
変化は訪れ 整備の行き届いた峠道は 連日
車が行き交います そして白い川石を噛むような
澄んだ流れに踊っていた イモナ も その姿を
いつか消えゆく運命にあるようです。

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若く経験の乏しかった当時の私には その固体が無斑岩魚と呼ばれ 大変珍しい物との認識には至り

ませんでした  もう一度見てみたいとこの地へ訪れる事もありましたが 二度とその姿をこの手にする

事は無く 忘れかけていた昨年 永源寺在住の友人宅脇に有る堰堤下で それらしき魚が釣り上げ

られたとの話を聞き またこの魚体への想いが新たとなりつつあります。

                                                       OOZEKI