(第四十話)彷徨えるもの達 稜線を越えた岩魚 その1

「矢張りお前だったのか?」

今回の出会いを前に 確信は有ったもの

いざ目前にして 背筋に冷たいものを感じた

この小さな魚が語り始める 自らの生い立ち

何故此処でなのかの経緯に思いを馳せると

40年近く間をあけた再会の今に戸惑う


水際に佇み水中を凝視する 若造時代の

私の背中を 訝しげに見つめる親方に親父

そして今物言えぬ存在と成ってしまった其々

多くの先達方々の表情が浮かび上がる

随分長く待たせてしまったようだ


古代から其処に生業を求める人陰が

耐える事が無かった 歴史的にも人の

介在が深く未知の部分はもう殆ど無しと

思われがち ある種特有の地域それが

史実の多く残る鈴鹿山脈と称される山塊

その悠久存在に比べほんの瞬き程度と思しき

短い期間関わる事と成った そろそろ終幕が

見えてきた私の生涯の中で唯一心残りとし

遣り残してしまったテーマとして予断なく

事実に元づく調査と考察を書き綴って

みたいとおもいます


鈴鹿山系での生態について定説とされ

信じられ久しいものに 魚類の生息に

おいての色分けが有ります 其れは

鈴鹿山脈を東西に分け西の滋賀県側には

岩魚一色の渓と 手付かずの時代は知られ

その個体はあの大島博士の説によると

ヤマト岩魚西の限界線上に置かれている

しかるに現実として 麓の集落に存在する

この魚に置いて養殖技術確立のパイオニァ的

存在といわれる 養魚場先代によっての

介在が有ったろうと目されそれに多くの

ボランテァ有志が作られた種の移動に

一役買い 更に交通の利便性が後押しし

管理漁協による商業色濃い大規模な

放流事業に 在来種との位地付けには

無理ありと思い続けてしまった昨今

更にかの時代には存在しなかった筈の

アマゴの放流によって ありのままの生態は

この地域での確認は至難の業と成って

しまったかのようです

自然界の移ろいを見続けた岳は今

土石流に側壁は磨かれつるつるに

花崗岩の特徴白い砂地の水底

このチビ岩魚が問題の解明に
対して今回の舞台は 分水嶺としての県境稜線を挟む東側 三重県側の生息魚類に付いてです

そちら側にて 渓流に生息認識される魚種は 私の知る限りアマゴのみの生息地としての断定が

一般的で 元来山深く潜むこの小さな魚に興味を示した現地住民は極僅かで 河川ごとの管理漁協

さえも見当らない いゃ一時漁業権主張の動きは有ったようですが長続きしてないのか 今では耳に

致しません? こういった状況ですから他の釣り人の姿を見かける事は此れまで皆無でした それは

私が影響を考え隠密裏行動にて目立たないものとして動いてたからかもしれません アマゴの生態は

ずっと以前から其処に有った在来種的なものと 近隣の観光施設による比較的大規模なものもあり

然るにその多くは 一般個人有志によるものが多く 極狭い関係者に大事にされて守られて来た

そう思っています つまり鈴鹿の山塊に置き三重県側に岩魚の存在は皆無との説が支配的でした

この説は私が関わる事となった 昭和の40年代出会ってしまった事実に照らし長らくのど元に刺さった

小骨の様に忘れ去る事を許しては呉れませんでした 長年の疑念に決着を付けるべく 数十年ぶりに

その渓に降りた 何度かの天災の傷跡は生々しく押し出され下流に追い遣られた彼らは 再び元の

位置に戻る事を許されず しかししぶとくその場所に命を繋いだ 此れまで信じられてきた説に対し

鈴鹿山系三重県側水系に岩魚の生息有り 此れにより内的な帰着点は得た筈が 何故かすっきり

しない思いに囚われて そう生息の有無だけで片付かない新たな疑問 更に大きなテーマを抱えて

しまったかの様です 其れはこの岩魚の正体戸籍は? 長年見落とされていたが故に今では在来種

程遠い生態と成った滋賀県側の当時のままの姿で生き続けたか? それは元々氷河期から陸封

され此処にではなくこの国が敗戦から立ち直る過程の 燃料としての炭焼き夫等の活動にありと

考えています この鈴鹿山系でも一番人の匂いが濃い時代だったかもしれない戦後の一時期には

その活動範囲境界線は県境分水嶺を越え滋賀県側に深く入り組んでいて 出来上がった炭は東の

三重県側に峠を越えて運び出した その過程に置き移された可能性が一番可能性高いので無いか

皮肉な事に 同じく人為的介在で本家の生態が崩れ失われても スポット当たる事無く慎ましやかに

其処に潜んでいたが故の鈴鹿岩魚種としての姿が保存された 手付かずの時代滋賀県側で手にした

姿に其れは見覚えが だとすると此れがヤマト岩魚最西部の姿なのか 調査確証続行を命じられた

気がしています この課題は何れ別の場所に移し調査結果からの考察は残そうと思います

最後に此処へ何故目星を付けたかは数十年前の記憶だけにあらず この地域の呼称にありました

それは国土地理院記述にも無い 代々の山師等特定集団によってそう呼ばれ親しまれて来たもの 

その呼び方は 普通は別の事に用いられる事で皆さんがご存知の言葉 山師の代々によっての

ずばり岩魚をさす言葉が当て嵌められて居ます 断定に大きなヒントと成って居ました

手付かずの時代稜線の向うで出会った姿に酷似

成体?慢性的な餌不足と思しき環境にサイズはこまかい
                                                          oozeki